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福岡県で最恐心霊スポットと言われるのが、京都郡みやこ町にある「旧仲哀トンネル」です。読み方は(ちゅうあいトンネル)で、福岡県で有名な恐怖の「旧犬鳴トンネル」に肩を並べる心霊スポットです。恐ろしい心霊現象が起きるトンネルとしてよく知られています。
人気の心霊Youtuber【クリップストア】さんをはじめ、テレビでも数多く取り上げられる、全国にも知られている怖い心霊現象が起きるトンネルです。
福岡のガチでヤバイ心霊スポットについて詳しく知りたい方はこちらの記事を読んでみてください。
福岡県の最恐スポット・旧仲哀トンネルは県北東部の京都郡みやこ町にあります。様々な怖い心霊現象が起こるといわれる恐ろしいスポットです。
交通事故で谷底へ落ちたバスに乗っていた乗客の霊が旧仲哀トンネル内をさ迷っているとか、旧仲哀トンネル付近の鉄塔で自殺した人の霊が憑りついているなどの恐怖あふれる噂もあります。
また、旧仲哀トンネルがある仲哀峠は、戦後を代表する連続殺人事件が起きた場所です。その死者の霊も付近にさ迷っているなどの情報もあり、本記事ではそんな恐怖の旧仲哀トンネルについて興味津々の情報をまとめてあります。
住所 | 福岡県京都郡みやこ町勝山松田 |
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行き方・アクセス | 行橋ICを降り、国道201号経由で「新仲哀トンネル」手前を右に入り「七曲峠」を登りきると旧仲哀トンネルに到着 |
最寄駅 | 旧仲哀トンネルに最寄駅は無い |
最寄りのバス停 | 旧仲哀トンネル近くには無い |
近くの駐車場 | 旧仲哀トンネル専用の駐車場は無い |
以上が旧仲哀トンネルの基本情報です。旧仲哀トンネルが閉鎖されて時間が経過しており、また、怖い心霊スポットだけに事故に気を付けてアクセスしましょう。
旧仲哀トンネルの正式名称は、仲哀隧道(ちゅうあいずいどう)です。福岡県田川郡香春町鏡山呉から京都郡みやこ町松田をつなぐトンネルです。筑豊地方の石炭や石灰運搬のため、1889年(明治22)から築造され、1890年(明治23年)10月18日に開通しています。
その後、旧仲哀トンネルは1929(昭和4年)に拡張工事がおこなわれ、全長432m、高さ5.1m、幅員6.1mの隧道(トンネル)になりました。その後、1967年(昭和42年)に新仲哀隧道が開通し、旧道は国道から外され2000年頃に閉鎖されました。
2007年(平成19年)に3代目の新仲哀トンネルも開通しています。尚、旧仲哀トンネルは2000年(平成12年指定)に、国登録有形文化財に指定されました。旧仲哀トンネルは歴史的価値がありながら、事件・事故もあり、閉鎖後は恐怖の心霊スポットと言われています。
旧仲哀トンネルがある「仲哀峠」の由来は、14代目天皇・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)征西の際に、この地で熊襲と戦い、居を構えたという言い伝えがあり、仲哀の名が現在まで残っています。
尚、仲哀天皇は征西中に崩御され、后である神功皇后がその後、全戦で指揮を執り三韓征伐も成し遂げています。その時、神功皇后は身ごもっていて、生まれた皇子が軍神八幡神の応神天皇です。
旧仲哀トンネルは現在、落盤や落石の恐れがあるとしてガードレールとフェンスで閉鎖されています。旧仲哀トンネルを通行することはできません。
また、旧仲哀トンネル入口上部の銘板には、時代を物語る左書きで「仲哀隧道」と記されています。レンガ積みの入り口など歴史的にも大変重要な建造物として価値があり、貴重な歴史遺産になっています。
旧仲哀トンネルが心霊スポットとして有名になる原因となった事件が、トンネル近くで発生しています。その事件は戦後を代表する西口彰による連続殺人です。
短期間に日本各地で殺人事件を起こし、日本全国を恐怖のるつぼに追い込んだ恐ろしい事件でした。当時は誰もが知る有名な連続殺人で、逮捕された西口彰は一躍有名人となりました。
この章では、類まれな恐怖の連続殺人事件の詳細と逮捕に至った経緯、さらに連続殺人事件がその後に与えた影響についても紹介します。
西口彰事件とは、犯行当時37歳、前科4犯の西口彰による、1963年(昭和38年)10月から1964年(昭和39年)1月まで、3ヶ月ほどの期間に起きた連続殺人事件です。「戦後最悪の連続殺人」と言われる凶悪事件です
西口彰は大学教授や弁護士を騙って、日本各地で殺人を繰り返し、金品も奪っています。逮捕された西口彰は、殺人5件、詐欺10件、窃盗2件で起訴され、地裁の判決文では「悪魔の申し子」と形容されたほどの凶悪犯です。
西口彰は最初の殺人を、1963年(昭和38年)10月18日に起こしています。福岡県京都郡苅田町堤の国鉄(現在のJR九州)日豊本線苅田駅西側の山道で殺害された、専売公社(当時)職員の遺体が発見されました。
さらに、同日、旧仲哀トンネルに近い、旧仲哀峠で殺害された運転手の遺体も発見されています。目撃情報から2人を殺害した容疑者として西口彰が浮上し、福岡県警は西口彰を全国に指名手配しました。
西口彰は、自分が指名手配されているのを知ると、瀬戸内海の連絡船で偽装自殺を装ったりしながら、神戸・大阪・京都・名古屋を逃亡し、静岡県浜松市の旅館に投宿します。
浜松市の旅館「ふじみ」では大学教授と偽って、旅館の女将と娘の二人を殺害しています。犯行は、1963年(昭和38年)11月18日、女将が外出中に娘を殺害し、戻ってきた女将も絞殺し、現金と着物・貴金属等を盗んで換金しました。
西口彰は弁護士殺害事件を、1963年の12月29日に起こしています。当時東京雑司が谷に住んでいた満82歳の弁護士に、民事事件依頼の偽電話をかけ、面談後に弁護士宅に行き、独り住まいの弁護士を鈍器で殴打後絞殺しています。
殺害後に、現金と洋服類等25点と、その後の逃亡に有効に使える弁護士バツヂと裁判資料を奪い逃走しました。
西口彰は、当時えん罪被害者を救う活動を行っていた、熊本県玉名市に住む立願寺住職で教戒師の古川泰龍宅を訪問しています。全国から寄せられた活動資金があると目論んで目を付けたのが古川家です。
1964年1月2日、西口彰は川村弁護士と名乗り、立願寺に現れました。古川泰龍さんは福岡刑務所の教誨師も務めていて、講和で福岡刑務所も訪れており、服役中の西口彰は古川さんを覚えていたのです。
西口彰は活動資金を目当てに、一家を殺害し、お金を奪って沖縄に逃走する計画を立てていました。しかし、実際には、当時の古川泰龍さんは自費で活動をしていたのです。
西口彰は古川家を訪ねた際は弁護士と名乗り弁護士バッチも着けていましたが、古河家の次女・るり子ちゃん(当時10歳)は、川村弁護士が連続殺人犯の西口彰にそっくりと気づき、両親に伝えました。
るり子ちゃんの話を最初は信じてなかった両親も、弁護士を名乗りながら弁護士団体の名前や有名な法学者の名前も知らず、弁護士の基礎知識も乏しく、西口彰であることを確信したのです。両親は家族に危害が及ぶことを心配して犯人が就寝してから警察に通報しました。
翌1月3日朝、西口彰は福岡に向かうため古河家を出たところで逮捕されました。お手柄のるり子ちゃんは、同級生に「西口彰」と似通った名前の生徒がいたことで、通学中の交番にある手配写真の西口彰の顔を覚えていて、犯人逮捕につながったのです。
殺人鬼として有名になった西口彰は、殺人5件、詐欺10件、窃盗2件で起訴されました。戦後最悪の連続殺人事件と言われるだけ、検察の論告で「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」と形容され、地裁の判決文では「悪魔の申し子」とまで例えられています。
1964年(昭和39年)に検察は西口彰に死刑を求刑し、同年12月23日に福岡地裁小倉支部で死刑判決が言い渡されました。1965年8月28日には福岡高裁で控訴棄却の判決が下され、1966年8月15日に上告も取り下げられ死刑が確定しています。
1970年(昭和45年)12月11日に福岡拘置所で西口彰の死刑が執行されています。享年は44歳でした。
西口彰がモデルの「復讐するは我にあり」は、佐木隆三が書いた有名な長編小説です。第74回直木賞(1975年下半期)を受賞した人気作品で、1979年(昭和54年)に映画化、1984年(昭和59年)と2007年(平成19年)にはテレビドラマとして放映されました。
映画「復讐するは我にあり」は松竹と今村プロダクションの共同製作で松竹が配給し、1979年(昭和54年)4月21日に公開されました。緒形拳さんが好演し、配給収入は6億円を記録した有名なヒット作品です。
浜松でのロケもあり、弁護士殺害シーンは実際に殺人事件が行われたアパートで撮影され、殺人が行われた向かいの部屋でリアルな映像が撮影されています。
旧仲哀トンネルの少し手前に謎の石碑が建てられています。「猿田彦大神(さるたひこおおかみ)の碑」の碑で、裏に赤字で「昭和四十六年三月建立」と読める刻印があります。昭和46年は1971年で西口彰の死刑執行後に建てられた石碑です。
また、旧仲哀トンネルの仲哀天皇と猿田彦大神の関係は深くありません。また、猿田彦大神は、道開きの大神で学業や仕事を良い方向へと導いてくれるご利益が有名です。旧仲哀トンネルで事故や事件に遭った方々の供養とは直接結びつきません。謎が多い石碑です。
旧仲哀トンネルは福岡県で恐怖あふれる恐ろしい心霊スポットと言われるだけに、トンネル内や周辺で体験した怖い事故や心霊現象がインターネット上に多数上がっています。
旧仲哀トンネルでは、怖い心霊現象や恐ろしい体験が知られていますが、それだけでなく旧仲哀トンネルでは喜ばしい、怖い気分にならない心霊現象も有名です。
本章では、そんな中から、旧仲哀トンネル内の心霊現象と旧仲哀トンネル周辺地区で起こっている心霊現象についても解説します。
旧仲哀トンネルの恐ろしい心霊現象に「公衆電話に出たつ女性」があります。現在は撤去されていますが、かつてトンネル両側の入り口付近に電話ボックスがありました。
恐怖の心霊現象は、一方の入り口からトンネルに入るのですが、入り口前にある電話ボックスで電話をしている「女性」を目撃します。そしてトンネルを抜け、出口にあった電話ボックスでも同じ「女性」がいたという目撃談が多数です。
どう考えても瞬間移動は無理で、実際にはあり得ないその光景で、電話をかけていた女性は幽霊で旧仲哀トンネルを彷徨っていたと言われています。
仲哀トンネルの心霊現象で「狐の嫁入り」を目撃したという体験談があります。他の心霊スポットではあまり例がない「狐の嫁入り」は、大勢の人たちが提灯を持って行列をつくって歩いていたと言われています。
日本各地、昭和中期ころまでは結婚先に嫁いでくる花嫁を夕刻に提灯行列で迎える習慣がありました。旧仲哀トンネルで見られる明るい松明を連ねて進む行列が、狐の嫁入りの行列に似ていることから、狐の嫁入りと呼ばれるようになりました。
ただし、恐怖の怖い心霊スポットですが、狐の嫁入りそのものは結婚でもあり、縁起が良いもので決して恐ろしい心霊現象ではありません。
福岡県にある有名な心霊スポット・旧仲哀トンネルは、明治時代に造られ、国登録有形文化財に指定されるほど由緒あるトンネルです。
筑豊の石炭産業が繁栄した時代に開通した、旧仲哀トンネル(隧道)から、車社会の発展で新仲哀隧道が開通し、さらに、新仲哀トンネルと三代にわたり、仲哀峠にトンネルが開通しています。筑豊の歴史遺構です。
尚、現在旧仲哀トンネルは封鎖され通行禁止になっています。トンネル内部は崩壊・崩落事故が起こっていて、さらに危険な大事故も考えられ危険な怖い場所です。近くで重大事件も発生した場所だけに、旧仲哀トンネルへ遊び半分で訪れることはやめましょう。