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岩手県岩手郡雫石町にある【慰霊の森】は、人気Youtuber【はじめしゃちょー】さんも訪れたことがある日本三大心霊スポットの一つです。読み方は【慰霊の森(いれいのもり)】で、実際に起こった事故の犠牲者を弔うための慰霊碑や慰霊塔が設置され、今も遺族や事故の関係者が慰霊に訪れています。
また凄惨な事故現場となった【慰霊の森】では、恐怖の心霊現象が起こる危険な心霊スポットとして注目を集めています。【慰霊の森】を興味本位で訪れ、実際にゾッと背筋が凍るような怖い心霊現象を体験した人や身の危険を感じる思いをした人が多いです。
【慰霊の森】は昼間でも危険だといわれている心霊スポットです。そのため興味本位で肝試しに出かけないように気をつけましょう。
岩手県・雫石町では162名もの尊い命が失われた『全日空機雫石衝突事故』が発生し、そのうち、静岡県吉田市から訪れていた団体旅行客が122名も犠牲になりました。正確には『全日空機雫石衝突事故』は、現在の【慰霊の森】で起こったわけはなく、【慰霊の森】付近が事故現場となり、乗客や飛行機の残骸が雫石町の広い範囲に降り注いだそうです。
かなりの上空で空中に投げ出された全日空機に乗っていた乗客達の恐怖はどれ程のものだったか想像できません。身を守る術もなく空中に投げ出された人達は、当然、地面に落下しました。
岩手県の心霊スポットついて詳しく知りたい方はこちらの記事を読んでみてください。
1971年7月30日に岩手県・雫石町の上空で起こった『全日空機雫石衝突事故』とは、一体どのような事件だったのでしょうか。この地で恐怖の心霊現象が起こるようになったキッカケもこの『全日空機雫石衝突事故』だと言われています。そこで『全日空機雫石衝突事故』を詳しく検証します。
『全日空機雫石衝突事故』は千歳発羽田行きの全日空機と編隊飛行訓練を実施していた自衛隊機が高度28,000フィートの上空において文字通り、空中で衝突しました。事故が起こったとき、下層部分に薄い雲があったものの、パイロットの視界は良好だったという証言が残っています。
衝突直前まで全日空機は正常に水平定常飛行を行い、自動操縦に切り替えていたそうです。一方、自衛隊機は訓練機と教官機の2機で飛行していました。全日空機を目視しており、回避を試みたそうです。しかし気付くタイミングが遅く、結果として衝突が免れませんでした。
全日空機は機体の上部にあるT字尾翼の水平尾翼安定板左先端付近前縁を損傷、自衛隊機は右主翼付け根付近に引っかけるような形で衝突したようです。その結果、全日空機と自衛隊機は双方ともに操縦不能に陥り、墜落したそうです。
上空28,000フィートで衝突事故が起こった両機は、どちらも飛行不能に陥りました。この際、自衛隊機に乗っていたパイロットは射出座席装置のレバーを引くことが困難でしたが、キャノピー(風防)が離脱していたことで、機体から脱出することに成功しました。
一方、全日空機は水平安定板と昇降舵の機能を失い、降下体制から立て直しができない状態だったのでしょう。飛行機を運行するのに必要な機能を失いつつ、何とか走行を続けていた全日空機でしたが速度がドンドンと上がります。
そして音速を越えてしまった約15,000フィート付近で機体がスピードに耐えられなくなり、空中分解して墜落してしまったそうです。その際、機体から乗客が投げ出されたため、「人の雨が降った」と言われています。また生存者は自衛隊の訓練機パイロットのみでした。
全日空機は音速を超える凄まじいスピードで墜落し、15,000フィート付近で空中分解を起こしたため、人が空中に投げ出されました。事故が起こったのが昼間だったこともあり、事故現場の近くで目撃した人は「黒い豆のようなものが落ちてきた」と証言しています。
また全日空機のスピードが音速を超えたことでソニックビームが起こり、15km先の盛岡市内でも「ドーン」という爆音が響いたそうです。それだけ凄まじいスピードの飛行機から空中に投げ出された人が地面の落ちてきたのでしょう。空中にて起こった飛行機衝突事故だったため、事故現場となった雫石町で火災は発生しませんでした。
そのため遺体の火災による影響はなかったものの、上空から凄いスピードで叩きつけられたため、遺体の損傷が激しかったそうです。あまりに遺体の損傷が激しいため、身元確認の際に犠牲者の取り違えが起こったほどでした。
この当時、全日空ではコックピット・ボイス・レコーダーを搭載していませんでした。しかし千歳空港などの管制センターとは通信を行っていたため、事故当時の記録が残っていて、コックピットにいたパイロット達が如何に恐怖を感じていたかが分かります。
全日空機雫石衝突事故が起こったときに傍受された機長の最期の言葉は、「emergency!emergency!All Nippon(こちら全日空)……あぁぁーーー!!」という絶叫だったそうです。コックピットで操縦桿を握っていた機長が我々の想像を絶するほどの恐怖を味わっていたことが推察されます。また飛行機に搭乗していた人達の恐怖は計り知れません。
なお、『全日空機雫石衝突事故』は、生き残った自衛隊の訓練生と一緒に飛行していた教官は刑事事件となりました。刑事事件の裁判では最高裁判所までもつれ込み、最終的に訓練生は無罪、教官は執行猶予3年の判決でした。また乗客の遺族によって国を相手に民事事件として裁判が行われ、莫大な支払い命令が下っています。
岩手県・雫石は『全日空機雫石衝突事故』が起こった当時、見るに堪えないくらい恐怖に染まった事故現場でした。ただ事故当時は道の整備がされておらず、現場に向かうのも困難な場所だったという証言があります。では、どういう経緯で【慰霊の森】は作られたのでしょうか。その理由や【慰霊の森】が【森のしずく公園】に改名された理由をお伝えします。
岩手県・雫石町にある【慰霊の森】は、事故当時、人が立ち入るのが困難なほど、整備されてない場所でした。事故現場に自衛隊が派遣されたほど、行くだけで大変な場所だったため、遺族は辿り着くのも困難だったでしょう。
そのため『全日空機雫石衝突事故』で犠牲となった人の遺族がお参りに訪れやすいよう、階段や遊歩道が作られ、キレイに整備されたのです。
現在では『全日空機雫石衝突事故』の被害者達を弔うため、【慰霊の森】と名付けられた場所に慰霊碑や慰霊塔が建てられています。お陰で【慰霊の森】は、犠牲者の遺族が訪れやすい場所に生まれ変わっています。
1971年7月30日に起こった『全日空機雫石衝突事故』』の162名に及ぶ犠牲者を偲ぶため、2003年の三十三回忌までの間、【慰霊の森】では毎年慰霊祭が行われていました。慰霊祭には全日空の関係者や犠牲者の遺族が集まり、追悼しました。
また三十三回忌が終わったあとは、全日空と犠牲者の遺族によって運営されている『一般財団慰霊の森』が、【慰霊の森】の整備を定期的に行い、美しい景観を保っているようです。また【慰霊の森】にある慰霊碑には航空の安全を願う意味も込められています。
【慰霊の森】の慰霊堂と慰霊塔のある場所は冬場になると雪に覆われ、氷点下10度を下回る極寒の地です。そのため近年は建物の老朽化が著しかったそうです。そこで2020年に五十回忌という区切りの年を迎えるにあたり、2019年11月に全面改修工事が行われました。現在、【慰霊の森】に建っている航空安全記念の像は、航空安全のシンボルとして有名です。
中央にある長い3本の柱は富士山をモチーフにしています。また14本の石柱は岩手山をイメージして造られたそうです。これは犠牲者のうち、122名が静岡県富士市の出身者だったことが関係しています。犠牲者が富士山頂を眺められるようにと願いを込めて建築されたのでしょう。
また犠牲者の位牌が安置されている【慰霊の森】の慰霊堂も老朽化が進んでいたことから改修されました。その際、最新のLEDの照明が導入され、階段や施設内の照明なども整備されたことで、安全に訪れることが可能になりました。
【慰霊の森】は2020年に名称を【森のしずく公園】に改名しています。【森のしずく公園】の名前の中にある「森のしずく」は、以前より記録誌に使われていました。「森のしずく」には「事故の悲しみの涙」「悲しみを洗い流すかのようなせみ時雨」という2つの意味が存在しています。
そのためこれからも人々が慰霊のために通いやすい場所として【森のしずく公園】という名称を付けたといわれています。
上空では人の雨が降ったほど、聞くだけで怖い事故が起こった現場付近にある【慰霊の森】は、恐怖の日本三大心霊スポットとしても有名な場所です。しかし、実は【慰霊の森】は純粋に事故の犠牲者を悼むために訪れるならば危険はありません。
その反面、肝試しや面白半分で【慰霊の森】に訪れた人、You Tubeなどの動画撮影を目的に行った人は身の危険を感じるほどの怖い心霊事件に遭遇した人が多いスポットです。そのため【慰霊の森】に面白半分で訪れた人達が怖い事件や心霊現象に遭遇している危険スポットです。
そこで【慰霊の森】で実際に起こった恐怖の心霊現象や怖い事件を紹介します。なお、【森のしずく公園】は亡くなった方を悼む場所でもあるため、遊び半分で行くのはやめましょう。
【慰霊の森】にある有名な怖い心霊現象の1つに「慰霊塔から女性の声が聞こえる」があります。慰霊塔に訪れた人によると、【慰霊の森】にある慰霊塔をお参りしたときに恐怖で足がすくむような人のうめき声が聞こえた他、帰宅する際に「カムバック」という怖い女性の声が聞こえたそうです。
もしかしたら無事に帰れるはずだった事故の犠牲者が、一瞬で命を奪われたときに感じた恐怖や無念を伝えようとしているのかもしれません。昼間に【慰霊の森】へ訪れた人がこの怖い声を聞いたようなので、夜中に訪れるのは大変危険でしょう。
【慰霊の森】の怖い心霊事件としては、「白装束の幽霊」も有名です。【慰霊の森】の慰霊塔や慰霊堂付近でカメラを構えると、後ろから白装束を着た人が横切ったり、迫ってくるようです。【慰霊の森】に存在する白装束の幽霊は撮影されるのを嫌がっているのか、それとも存在に気付いてほしいのかは分かりません。
ただ夜中に【慰霊の森】へ訪れた人のみならず、昼間に訪れた人が遭遇した心霊現象です。そのため【慰霊の森】は犠牲者のために手を合わせようと訪れるのではなく、撮影目的や遊び半分で行くのは危険でしょう。
【慰霊の森】で怖い心霊事件や危険を感じる心霊現象に遭遇しないためには、画像や動画の撮影は控え、静かに手を合わせてソッと去るのが得策ではないでしょうか。
【慰霊の森】の怖い心霊現象の中でも最もポピュラーなのが「車に無数の手形がつく」話です。夜中に【慰霊の森】を訪れた人が、【慰霊の森】では何も体験しないまま車で帰宅しようとしたそうです。しかし途中で急にエンジンが停まり、後ろから車が叩かれました。
そのためバックミラーで後ろを確認しましたが、誰もいません。運転者は気のせいだと考え、すぐにエンジンをかけて【慰霊の森】から去りました。【慰霊の森】から離れてから車を確認すると無数の手形がついていたそうです。また、駐車場に車を停めて【慰霊の森】に出かけ、戻ると血まみれの無数の手形が車についていた怖い体験をした人もいるようです。
もしかしたら『全日空機雫石衝突事故』の犠牲者があまりに突然、命を奪われたことで自分はまだ生きていると思い、自宅に帰ろうとしているのかもしれません。この心霊事件は特に夜中に体験する人が多いようなので、夜中に【慰霊の森】に行くのは大変危険でしょう。
住所 | 岩手県岩手郡雫石町西安庭第47 |
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行き方・アクセス | 雫石駅から車で12分 |
最寄駅 | 雫石駅 |
最寄りのバス停 | 下戸沢 |
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【慰霊の森】はJR東日本の雫石駅から車で12分のところにあります。南口を出て駅を背にまっすぐ進み、T字路を左折します。県道1号船を右折して御所大橋北園地を過ぎたら県道162号線に入りましょう。T字路を左折して橋をわたったら右折すると【森のしずく公園】に到着します。
なお、【森のしずく公園】に一番近いバス停は雫石町のコミュニティバス「下戸沢」のバス停が一番近いです。しかし【森のしずく公園】まで徒歩40分ほどかかる他、現在、コミュニティバスは予約制となっているため、一般客の利用は難しいかもしれません。そのため自家用車かタクシーで向かうといいでしょう。
現在は【森のしずく公園】と改名された【慰霊の森】は、『全日空機雫石衝突事故』の犠牲者を弔うために整備され、慰霊塔や慰霊堂が建てられた経緯がありました。その事故によって一瞬で命が奪われため、多くの犠牲者が成仏できずに【慰霊の森】を彷徨っているのも事実でしょう。
そのため【慰霊の森】は夜中のみならず、昼間であっても肝試し・遊び半分・撮影目的などで訪れると危険な体験をしたり、恐怖の心霊事件が起こる危険な場所です。犠牲者の遺族も慰霊するための場所が、恐怖の心霊スポットとして騒がれると辛い気持ちになるでしょう。そのため【森のしずく公園】に遊び半分で出かけるのは止めましょう。
秋田県の心霊スポットについて詳しく知りたい方はこちらの記事を読んでみてください。