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「多摩テック」は、2009年9月30日に閉園に至りました。かつては多くの人々で賑わいましたが、今では廃墟となり、跡地は荒れ果てています。廃墟となった不気味で怖い雰囲気から、心霊スポットとしても有名になりつつあるというのは本当でしょうか。
多摩テックを運営していたのは、本田技研工業傘下のホンダモビリティランドです。そのため、モータースポーツの遊園地として、有名な鈴鹿サーキットと並び、モートピアとも呼ばれました。
当時のCMでもわかるようにライド系のアトラクションが多く、迫力がありスリルを味わえる乗り物が人気でした。大人3,500円、子ども2,900円で1日中楽しめる、多摩を代表する有名な遊園地だったのです。
おはようございます🌺
— walo (@walohaw) June 4, 2020
徐々に活気がでてきましたね✨
ただマスクをしてない人も...油断大敵ですよ❣️
閉園した遊園地のひとつ🎡#多摩テック pic.twitter.com/D1RHnyjGc9
かつては多くの人々を楽しませていた多摩テックですが、閉園となってから長い時間が過ぎました。今では廃墟となり荒れ果てていますが、跡地となっても人々の思い出に残っています。改めて現在は廃墟となってしまった多摩テックの歴史を振り返ってみましょう。
多摩テックは1961年にモータースポーツセンターとしてオープンしました。本田技研工業が関係していることもあり、バイク愛好家のためのモトクロスコースやサーキットが充実した施設として有名になりました。
1970年に入り、徐々に子ども向けのアトラクションが増えていき、ファミリー向けのテーマパークとして浸透していったようです。
それでも、やはりライド系の乗り物が多く、敷地内には大量のゴーカートやトライアルバイクが置かれていました。
1980年代に入ると、多摩テックの敷地内には子どもたちが様々な体験ができるアドベンチャープールや家族連れやカップルで楽しめるキャンプ場がオープンし、あっという間に遊園地の花形・ジェットコースターに並ぶ人気スポットになりました。
1995年、ボーリング作業中に温泉が出たことから、温泉施設のクア・ガーデンがオープン、多摩テックは老若男女が楽しめるスポットとして有名になったのです。
後に荒れ果て、心霊スポットと噂される廃墟になるとは思いもよらないほど人が集まり、賑わっていました。
48年の長きにわたり人々を楽しませてきた多摩テックですが、2009年9月30日をもって閉園となりました。閉園するにあたり行われた閉園イベントでは、昔の図面をもとに旧式のゴーカートを復刻、ゴーカート目当てに多くの人が訪れたようです。
同じく復刻した「走るイス」は展示するだけでなく実際に走れるようになっており、閉園イベントが始まった7月4日には、遊園地の園長とクア・ガーデンの女将が「走るイス」に乗ってパレードを行いました。
閉園を惜しんでたくさんの人が来園した多摩テックは、かつての賑わいを取り戻したようで、その後すぐに廃墟になり現在のように荒れ果てるとは思えないほどでした。
ゴーカートに初めて乗ったのは1975年だった #多摩テック pic.twitter.com/rXYh06D1Jw
— 御免寝次郎 (@gomenne_Jiro) November 12, 2021
2009年に閉園になった多摩テックですが、閉園に至るには様々な葛藤があったことでしょう。閉園を決断せざるを得なかった理由はなんだったのでしょうか。
小学校高学年くらいの時に多摩テックのゴーカートで一日の大半を使って真剣にタイム詰めてたのは青春。
— 黒薔薇みるきー🏴☠️☃️🧪@10/15黒ネコ集会 (@kurobara_yuk) August 26, 2022
1周してまた乗ってを数十回繰り返しているとこの色のカートは加速が良い、最高速伸びない、アンダー強いとか個体差が分かってくるんですよね。
タイムを詰める基礎はこの時出来たのかもしれない。 pic.twitter.com/BpTxXkv5Ja
1971年のゴーカートでの死亡事故以来、様々なアクシデントが起こりました。1976年にはぞうさん列車で小学生が転落する事故、1984年にはミニポッポ周遊列車がブレーキの不具合により横転するという怖い事故が起こっています。
また、1996年、従業員の確認不足により、夫婦と女子中学生4人がキャビン内に取り残され、12時間にわたり閉じ込められてしまいます。乗客は翌朝になり、ようやく救助されました。続く1997年には、でんでんむしと従業員が衝突する事故も起こっています。
稀に見る事故の多さも、荒れ果てた廃墟となった現在、心霊スポットと噂される理由なのかもしれません。
入園者数が減っていく中、1990年代には割引券の配布、得意先に向けて招待デーを設けるなど集客に向けて対策をしていましたが思うように伸びず、1999年頃には経常損失を計上しています。2000年に入り、大阪のユニバーサルスタジオジャパン、東京ディズニーランドに並ぶディズニーシなど巨大テーマパークが次々にオープンしました。
日本中どこの遊園地も、入園者数の激減に悩んだ時期でもあります。多摩テックも例外ではなく、最盛期は100万人を超えた入場者数は、2007年頃には62万人と大幅に減少しています。
4Dモーションシアターや、子ども向けのゴーカートアトラクションをスタートさせるなど入園者数確保に向け対策を試みましたが、2007年以降の世界金融危機などの影響もあり、ついに不採算事業からの撤退が決定したのでした。
多摩テックの敷地面積は約12万平方メートルです。多摩テックが閉園した2022年現在、乗り物などは撤去されているものの、この広大な敷地は廃墟となり荒れ果てた跡地はどこか怖い雰囲気を醸しています。
多摩テックの跡地は、現在心霊スポットとして有名になっています。荒れ果て、廃墟となった跡地はどこか不気味で怖い雰囲気を醸しているからかもしれません。事故が相次いだテーマパークということも、心霊スポットとしての知名度を上げている理由のひとつでしょう。
しかし、実際に多摩テック跡地で怖い目に遭ったという報告は確認されていません。荒れ果てて手入れがされていない廃墟の雰囲気が、怖いという気分にさせてしまうのでしょう。実際には心霊スポットではありません。
ただし、多摩テックの近辺には、有名な心霊スポットが存在しているようです。そこでは怖い思いをしたという報告もあるため、絶対に近づかないことをおすすめします。
ウルトラQ「2020年の挑戦」をボンヤリ観る。あと2年だなー。2020年のケムール星の科学は、地球より進んでた。
— さらだばーむ/SaladbarM (@saladbarM) January 8, 2018
あと、冒頭のゴーカートシーンのロケ地は多摩テック。1回しか行くことができなかったけど、歴史のある施設だったのね。
いまウルトラQ観ると、レトロかっこよさにシビれる。 pic.twitter.com/aiAKJ41JoZ
多摩テックはテレビのロケ地としても有名な場所です。1966年放送のウルトラマンシリーズ「ウルトラQ」第19話では、ゴーカートのコースなどがロケ地として使用されました。また、同じく円谷特技プロの「怪獣ブースカ」第5話でも、多摩テックが登場します。
「ひらけ!ポンキッキ」では、1988年~1993年頃まで頻繁にロケが行われていました。他にも、2006年にフジテレビ系で放送された阿部寛さん主演のドラマ「結婚できない男」や、2007年、石原さとみさん主演のドラマ「花嫁とパパ」などでも、多摩テックがロケ地として使用されています。
ロケ地として使用されたドラマなどで、廃墟となって荒れ果てた今では見られなくなった多摩テックを見られます。
多摩テックの周辺は、東京都とは思えないほど自然にあふれる地域です。そのため、多摩テックが閉園となり静かになってからは、たぬきなどの野生動物の姿が見られるようになりました。
廃墟となった跡地は立ち入り禁止で人の出入りがないため、たぬきも怖い思いをすることなく安心できるのでしょう。すっかり住み着いてしまっている野生生物もいるようです。
跡地利用に向けて周辺を調査した際には、たぬき以外にも純絶滅危惧種に指定されているオオタカや、人工栽培が難しく都府県のレッドデータブックにも記載されているキンランなども見られ、東京都自然保護条例の審査が入ったこともあります。
先ほどのツイートの最後の1枚の説明…豊田駅で見つけた看板に?!あれ?まさかの多摩テックの文字がっ… もう 今は無い地元の遊園地😅(笑)無くなって10年位経つのに。懐かしくて撮っちゃったわwww #多摩テック pic.twitter.com/B447jdC6cp
— こうじさん3 (@L5RllxAW5v5ME87) March 29, 2019
多摩テックが閉園し、後に残されたのは約12万平方メートルという広大な跡地は、閉園から10年以上たった今なお、荒れ果てた廃墟のまま残されています。多摩テック跡地がどのような経緯をたどり現在に至るのか、見てみましょう。
としまえん閉園が話題だが
— よっちん (@yocwitter) February 4, 2020
2009年に閉園した多摩テック跡地が再利用されず広大な森林になっていた事に驚愕した pic.twitter.com/A8UvGbEfah
2010年6月、多摩テックの跡地を買収したのは明治大学でした。明治大学は2014年をめどに「明治大学スポーツパーク」を開設、多摩テックの跡地にスポーツ科学部を新設するなどの計画を発表します。
スポーツ科学部に設けられると発表された「スポーツ健康科学コース」では、理論的かつ科学的にスポーツを学べ「スポーツ社会科学コース」ではスポーツマネジメントおよびスポーツジャーナリズムなどを学ぶことが予定されていました。
この計画は、三菱商事株式会社を共同事業者として進められ、多摩テックの土地所有者から46億円で買い取っています。
先にもお話ししたように、多摩テックの敷地内には準絶滅危惧種にあたるオオタカや、絶滅危惧2類のキンランなどが確認され、東京都自然環境保全審議会の審査が入りました。その審査が長期化し、工事の着工が大幅に遅れます。
さらに、2011年の東日本大震災の復興事業や東京オリンピック開催決定の影響により、工事にかかる材料費や人件費が高騰してしまいます。
経費は予算の1.7倍にも上ると予想されたことから、明治大学評議員会は明治大学スポーツパークの事業計画を断念、計画は白紙に戻しました。それにより、多摩テックの跡地は荒れ果てた廃墟のまま放置されてしまうのです。
計画中止は決まったものの、多摩テックの跡地は「学校運動施設等の建設のみ」と用途が限定されていたため、共同事業者の三菱商事は事業の継続もしくは土地の買い取りを明治大学に求めました。
しかし明治大学はこれに応じず、三菱商事に対して契約不履行を主張したため和解には至りませんでした。これにより2015年3月、三菱商事は明治大学に対して土地代を含む費用61億9,000万円を支払うよう求め提訴したのです。
この裁判で、東京地裁は明治大学に対して、三菱商事に8億3,900万円の支払いを命じる判決を下しました。
閉園から10年以上が経った多摩テック跡地。明大がキャンパスを作る予定だったけど建設費が高騰したり市と色々揉めたりして放置状態… 遊具の殆どが撤去されたけど、ごく一部の建物やモノレールの線路が残されてる pic.twitter.com/QZtkQG3kU7
— matto (@mattommmm) February 2, 2020
判決が出た2018年4月の時点で、多摩テック跡地の土地所有者は三菱商事でしたが、2019年には三菱商事の関連会社である三菱商事都市開発株式会社になりました。
所有権の移譲は日野市公認のもと行われ、日野市では多摩テックの跡地利用に対し、残された貴重な自然を守る、積極的な緑化を行う、観光資源・レクリエーション資源とするため散策路を整備するなどの方針を決定しました。
つまり、多摩テック跡地は新たな開発を行わず、自然を守るために土地を整備・保全することになったのです。そのため、多摩テックが復活する可能性は低いと言えるでしょう。
多摩テックにはホンダらしくダイナミックな乗り物が多く、絶叫マシンなども充実していました。訪れた人に愛された乗り物にはどんなものがあったのか、振り返ってみましょう。
多摩テックのジェットコースターの始まりは、運転手が運転する「ジェットスレー」です。のちに、レール部分を再利用した「カナディアンジェットライダー」に生まれ変わりました。
「カナディアンジェットライダー」は運用開始後すぐに遊園地の花形のひとつになりました。正門に入ってすぐ左手という目立つところにあり、遊園地に来たというワクワク感を後押ししてくれます。
激しい上下を繰り返す絶叫系の乗り物というわけではなく、緩やかな地形に沿って爽快に走る、怖いというより気持ちがいいジェットコースターです。
ホンダが運営するだけあって、ゴーカートは多摩テックの目玉でした。中でも「レーシングゴーカートGX」は、1周400メートル×2を疾走、6台のゴーカートで順位を競う本格的なレースできることで有名でした。
未来型を意識した「ハイパーカート」は、コース全長が1,200メートルと長く、カートのスピードも最高時速25km/hという名前の通りハイパーなものでした。スピードに慣れていないと怖いと感じる乗り物だったのではないでしょうか。
他にも、悪路を走る「ワイルドバギー」や、子ども向けのゴーカート「フォーミュラGP」など、年代や好みに合わせたゴーカードだらけだったようです。
遊園地のランドマーク的役割を担う観覧車は、どんな遊園地でも人気のアトラクションです。多摩テックの大観覧車「トップキャビン」も例外ではありません。
直径46mの観覧車は特別に大きいものではありませんが、標高224mの場所から多摩周辺を見渡せるパノラマ風景が魅力で、多くの人が1周約12分の旅を楽しみました。
4人乗りのキャビン内には双眼鏡と地図が置いてあり、観覧車から見える景色を心ゆくまで堪能してほしいという多摩テック側の思いやりが感じられます。
またまた実家から出土した貴重写真。多摩テックのUFO。メーカー勤めだった祖父がカメラに強かったらしく、度々遊園地にガチガチの機材持ち込んでは家族のライドフォトを熱心に撮っていたらしい。 pic.twitter.com/js9BTwWfdc
— どどんぱ (@ttd33q) November 16, 2020
「UFO」は3両連結のコースター型の乗り物です。今で言うスピニングコースターに近い乗り物で、レールに沿って走るだけでなく乗り物自体が水平に回転します。
スピードと上下の動きに、水平の回転が加わると怖いと感じるかもしれませんが、実際はそれほど怖いわけではなく万人が楽しめるスリル感だったようです。
斬新な乗り物が多いことで有名だった多摩テックですが、UFOも当時としては新しい発想で、やはり多摩テックの乗り物はクセが強いと評判になりました。
「ガリオン」はモノレールに吊り下げタイプのキャビンがついたコースターです。それほどスピードはないので、ゆったりと景色を楽しみながら走るのかと思いきや、高低差があり、カーブの時にはしっかり横Gを感じるので迫力があります。
小さな子どもや乗り物系のアトラクションが苦手な方は、怖いと感じるかもしれません。ジェットコースターより軽いスリルを体感するのにちょうどよかったのではないでしょうか。
付き添いがあれば3歳から搭乗できたので、親子で楽しむのにピッタリなアトラクションでした。
1961年の開園当初は、本格的なレースが楽しめる大人向けの場所でしたが、徐々に「自動車遊園地」としてファミリー向けの施設へと変わっていきました。テーマパークとして有名になっていく中、1979年、多摩テックと鈴鹿サーキットのオリジナルキャラクター「コチラ」が誕生しました。
コチラは、あの有名な手塚治虫氏がキャラクターデザインを手掛けたとあり、またたく間に人気キャラクターとなりました。コチラは、チララ・ピピラ・バット・プートとともにコチラファミリーとして長く親しまれたのです。
住所 | 東京都日野市程久保5-22-1 |
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行き方・アクセス | 多摩動物公園駅より徒歩10分 |
最寄駅 | 多摩動物公園 |
最寄りのバス停 | 程久保五丁目 |
GoogleMapで詳しく見る |
今、東陽町です。
— シズキ/健太 (@4zukiM918) February 3, 2013
京王電鉄バスのS40107に乗りたいな。多摩テック線を最後に走った、こいつもそろそろ危うい頃だし。 pic.twitter.com/seZM1JQG
多摩テックが営業している時は、多摩動物公園駅より無料送迎バスが出ていましたが、今はありません。多摩テック跡地までは、多摩動物公園駅から503号線を南西へ進み、程久保六交差点を左折して行きます。
しかし、廃墟となった多摩テック跡地は荒れ果てていて、現在は立ち入り禁止になっています。心霊スポットの噂が気になるかもしれませんが、絶対に入ってはいけません。どうしても気になる場合でも、近くから眺めるだけにしておきましょう。