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千葉県勝浦市にある行川アイランドを知っていますか。読み方は行川アイランド(ナメガワアイランド)で人気のテーマパークでしたが、閉園後は怖いことで有名な廃墟の1つとなっています。この記事では行川アイランドの歴史や全盛期に人気だったアトラクション、閉園理由や度重なる再開発などについて紹介します。
(*千葉県の心霊スポットについて詳しく知りたい方はこちらの記事を読んでみてください。)
行川アイランドの閉園した理由や再開発について紹介する前に、行川アイランドが開園してから全盛期を迎え閉園するまでの歴史を紹介します。
高度成長期やベビーブーム真っただ中の1960年代の房総半島では、1961年にホテル三日月が開業したり、1962年にマザー牧場が開園したりと施設の開業が続きました。当時のその波に乗るかのように行川アイランドも1964年8月13日に開園しました。
種類豊富な動物や植物を楽しめ、ゆったりと宿泊できるリゾート地で、自然を基調とした独創的で魅力溢れるテーマパークとして人気を博しました。
行川アイランドではフラミンゴやクジャクをはじめとした様々な動物のショーが開催されました。見応えのある動物のショーは徐々に有名になり、行川アイランドへ来場する人は増加し、全盛期の1970年には年間117万人もの来場者数を記録しました。同年の1970年にJR外房線に行川アイランド駅ができ、行川アイランドへのアクセスが非常に良くなりました。
行川アイランドの来場者数は、1970年に開園した鴨川シーワールドを皮切りに近隣に中小規模の観光施設やリゾートホテルが相次いで開業したことで、次第に減少していきました。そして、今も日本で有名かつ人気のテーマパークに君臨している東京ディズニーランドが1983年に開園し、観光客を大幅に奪われてしまいます。
来場者の減少とともに経営状態も悪化し、会社更生法を申請したり、当時のオーナーが社長を務める会社が経営を引き取ったりするも黒字になることはありませんでした。2000年の来場者数は19万人にまで減少し、売上高も最も栄えていた当時の半分程度となり、2001年3月26日に行川アイランドの閉園が決定しました。
閉園が決まった後には勝浦市で「行川アイランドを存続させる会」が発足され1万5千人の署名が集まるも、自治体からの支援は困難と判断され、2001年8月31日に閉園しました。
行川アイランドは自然と共存した世界を楽しめることで開園当時から人気でしたが、開園から37年後に閉園してしまいました。行川アイランドはどうして閉園してしまったのでしょうか。ここでは、行川アイランドを閉園にもたらした大きな理由を2点紹介します。
行川アイランドが閉園した1つ目の大きな理由は、ディズニーランドの開園とバブル崩壊と言われています。開園当時から1970年頃までは順調に来場者数が増加していきましたが、1970年以降の来場者数は下り坂となります。
そして、世界で3番目のディズニーパークとして1983年に東京ディズニーランドが開園しました。開園当時からパレードやショーなどのエンターテイメントが充実しており、連日多くの人が東京ディズニーランドへ訪れました。東京ディズニーランドの開園以降、行川アイランドの来場者は大きく減少しました。
1986年12月頃からのバブル景気によりの泊りがけで南房総を周遊する人が増え、一時は来場者数を持ち直します。しかし、バブル崩壊により景気は低迷しレジャーの多様化が進んだことで、来場者数は減少し、累積赤字は膨らんでしまいました。
行川アイランドが閉園した2つ目の大きな理由は、野生化したキョンの責任逃れと言われています。当時千葉県内で唯一キョンを飼育しており、行川アイランドに行けばキョンを見られると有名でした。
しかし、1980年代以降に行川アイランドで飼育しているキョンの一部が逃げ出して野生化してしまいました。野生化したキョンは千葉県南部を中心に自然繁殖し、2000年代からは農作物を荒らすこと等で問題となります。
キョンを逃がした行川アイランドに責任があり、表向きは経営難を閉園理由としますが、この責任を逃れるために閉園させたと噂されています。
行川アイランドは2001年を持って閉園しましたが、今も当時の面影が残っています。現在の行川アイランド跡地はどんな状態なのでしょうか。ここでは、行川アイランドの跡地の現在について、これまでの再開発の経緯を交えながら紹介します。
行川アイランドでは閉園した後に何度か再開発が行われております。しかし、今もなお行川アイランドの跡地として残っているのは、再開発が相次いで中止となったからです。行川アイランドは新しい施設として生まれ変わることなく、千葉県の有名な廃墟の1つとなりました。
行川アイランドの跡地の敷地は2004年に共立メンテナンスが購入し、複合リゾート施設「ウエルネスの森」として再開発を目指すこととなりました。2007年には温泉井戸を1本掘りましたが、翌年の2008年に開発計画の無期延期の申し出を勝浦市にし、再開発は一旦ストップしました。無期延期の原因は、世界金融危機による景気の低迷とされています。
行川アイランドの再開発は無期延期となっておりましたが、2020年着工で2棟のホテルを建設することを2018年に共立メンテナンスが発表しました。1棟はペットと一緒に宿泊できるホテル、もう1棟は海の眺めを楽しめるホテルで、1日の最大宿泊数は計664人の計画でした。従業員の雇用や宿泊客の消費による経済活性化を期待する地元民は多かったです。
しかし、ホテル建設計画は途中で中止となりました。原因は想定以上の事業費が掛かるためです。計画段階でホテル建設の事業費をおおよそ5億4,000万円と見込んでおりましたが、2020年1月時点で倍の10億円以上掛かることが判明しました。ホテル建設による再開発は保留となっており、2022年10月時点で動きはありません。
行川アイランドは人気のドラマ『金田一少年の事件簿』のロケ地に利用されました。行川アイランドがロケ地となったのは、Kinki Kidsの堂本剛さん主演を務めた金田一少年の事件簿第2シリーズの墓場島殺人事件です。ドラマが放送されたのは1996年7~9月で、開園していた頃の行川アイランドで撮影されています。
行川アイランドには来場者を楽しませてくれるアトラクションが多数用意されていました。全盛期当時に行川アイランドで有名だったアトラクションや人気のあったアトラクションは何だと思いますか。ここでは、来場者のお目当てと言っても過言ではないほど人気のあったアトラクションを紹介します。
行川アイランドで最も有名だったアトラクションが、フラミンゴファンタジックショーです。100羽のフラミンゴが調教師の指示のもと、サンバやワルツに合わせて行進する様子を見ることができます。
風雨がある等天候によってフラミンゴが羽ばたいてしまうこともあり、非常に難易度の高くオリジナリティ溢れるショーでした。フラミンゴの色鮮やかさとたくさんのフラミンゴの揃ったパフォーマンスは見ごたえ抜群で、非常に人気がありました。
行川アイランドでフラミンゴファンタジックショーに次いで人気があったのは、クジャクのダイビングショーです。山の上からクジャクが勢いよく飛んでくるというもので、いきなり現れるクジャクに驚く人が多かったようです。クジャクのダイビングショーのBGMにスターウォーズのテーマが使われていたようです。
行川アイランド内にあるトロピカルバードセンターも人気のあるアトラクションの1つです。世界の珍しい熱帯鳥が20種類ほどいて、熱帯鳥に餌をあげられます。カラフルな熱帯鳥が餌を求めて手や肩に乗ることもあり、熱帯鳥とのふれあいを楽しめました。
行川アイランドでは多数の動物が飼育されておりましたが、行川アイランドにいた動物たちはどうなったのでしょうか。ここでは、行川アイランドにいた動物たちのその後について紹介します。
行川アイランドでキョンを飼育しておりましたが、一部のキョンが逃げ出してしまいました。逃げ出したキョンは野生化し、自然繁殖により千葉県南部を中心に生息数は年々増加しているようです。山で静かに暮らしているのであればさほど問題ありませんが、稲やイチゴなどの農作物を食い荒らす被害が増えており、野生のキョンの存在が問題視されています。
事の発端は行川アイランドのずさんな飼育方法や管理ですが、閉園した今となっては行川アイランドに責任を問うことはできません。
行川アイランドではフラミンゴのショーが有名で、100羽ちかくのフラミンゴを飼育していました。大量のフラミンゴのその後について、フラミンゴが野生化した、と当時はニュースになっていたようですが、事実は近隣の動物園などに全て引き取られているようです。
行川アイランドは人気のドラマ『金田一少年の事件簿』のロケ地でしたが、実際に事件も起きていたようです。行川アイランドではどのような事件が起こったのでしょうか。ここでは、行川アイランドで起こった2つの事件について紹介します。
行川アイランドの跡地で血まみれのシャツが見つかるという事件が2013年9月に発生しました。行川アイランドの跡地を管理する会社から通報があり、警察が出動する騒ぎになったようです。
その時に発見されたのは半分弱が血で染まったシャツ1枚と、血の付いたティッシュのかたまり数個です。シャツは乾ききっておらず、刺し傷や切り傷は見当たりませんでした。当時警察は事故と事件の両面で調べていたようですが、真相は分かっておりません。
昭和から平成にかけて数々の凶悪事件を起こしてきたオウム真理教の元幹部だった高橋克也容疑者が行川アイランドの跡地に潜伏していたという噂がありました。行川アイランド駅は利用客の少ない無人駅であることや、行川アイランドへ通ずるトンネルの柵を越えれば人目に付きにくいことから、絶好の潜伏場所だと思われたようです。
なお、高橋克也容疑者が潜伏していたことは噂に過ぎず、警察が行川アイランドを捜索したり、行川アイランド内で捕獲したりしたという事実はありません。
行川アイランドには様々な都市伝説があります。ここでは、行川アイランドの有名な都市伝説を2つ紹介します。
行川アイランドにまつわる有名な都市伝説の1つが、行川アイランドを旧日本軍の軍事施設跡地に建てたということです。当時行川アイランドの所有者だった日本冶金工業株式会社が過去に軍事兵器を取り扱っていたことや、お椀型で海側に開けた地形が軍事的に適していることが噂の発端のようです。
しかし、行川アイランドの跡地からは過去に軍事施設だった痕跡は見当たらず、真相はわかりません。
行川アイランドにまつわる都市伝説には、行川アイランドに著名な芸術家が暮らしていたという都市伝説もあります。行川アイランド内に木でできたバンガローがあり、著名になるまでこのバンガローで生活を送っていたと言われています。
バンガローの中は生活感が漂っており、芸術家が使っていたと思われる布団や読んでいたと思われる雑誌、食べ物のゴミなどで散らばっています。その中にスケッチや手紙などがあり、バンガローで暮らしていたのが著名な芸術家と見なされたようです。
住所 | 千葉県勝浦市浜行川606 |
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行き方・アクセス | 行川アイランド駅から徒歩7分 |
最寄駅 | 行川アイランド駅 |
最寄りのバス停 | 12街区 |
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行川アイランドの最寄駅は、千葉駅から房総半島の東岸沿いを南下していくJR外房線の行川アイランド駅です。行川アイランド駅からは国道128号に沿って東へ7分ほど歩くと、行川アイランドの入口跡地の階段が見えてきます。
行川アイランドの最寄のバス停は、小湊鐵道バスの12街区です。12街区で下車した後は、国道128号に沿って南へ30分ほど歩くと行川アイランドの入口跡地の階段が見えてきます。ただし、敷地内に入ることは不法侵入となります。有名だった行川アイランドの今や、再開発の状況がどうなっているのか気になるかもしれませんが、絶対に入ってはいけません。
(*東京都の心霊スポットについて詳しく知りたい方はこちらの記事を読んでみてください。)