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東京は日本全国や世界中の食材が豊富に集まっているように見えますよね。しかし、実際には江戸文化が色濃く残る「東京都の郷土料理」を味わうことができます。これから東京都の「気候」と「食材」について軽く説明した後「東京都の郷土料理」を紹介していきましょう。これも郷土料理?と驚く料理があるかもしれませんよ。
太平洋側に位置する東京都は比較的四季がハッキリとした気候です。夏季は高温多雨ですが、最近は温暖化の影響により35℃超えや一部地域のゲリラ豪雨などもみられるようになりました。反対に冬季は晴れて乾燥した天候が多いです。そのため雪対策が弱く、突然の大雪で交通機関が混乱することもあります。
繁華街が多いイメージの東京でも農耕地や山間部は残っていて、野菜を作られているのを知っていますか?東京には「江戸野菜」と呼ばれる野菜があります。きゅうり・なす・かぶ・にんじん・うど・だいこん・長ねぎ・とうがらしが「江戸野菜」です。それ以外にも山間部では、じゃがいも・そば・わさびなども作られています。
以前は「東洋のベニス」といわれるほど東京都内には川が流れていました。そのため川から採れる食材を使った料理も発達し今でも親しまれています。また東京湾で取れる魚介も江戸の誇る食材でした。
サッとゆであがる蕎麦は「早い・安い・おいしい」江戸時代のファストフードです。江戸の蕎麦は「藪」から始まっています。のれん分けにより「藪」を店名に使っている店は多く、東京の日本蕎麦といえば藪蕎麦がルーツとなるでしょう。
創業100年を越える人気の老舗に「藪」の名前がついているのはこれが理由だといえます。麺の端を少しだけツユにつけ、一気にすするのが江戸っ子の正しい作法です。これは濃く辛いツユが東京の蕎麦の特徴だからでもあります。この辛めのツユを蕎麦湯で割ってむのも日本蕎麦の楽しみのひとつです。
外国人にも人気の寿司は、江戸時代に華屋與兵衛(はなやよへえ)という料理人が生み出したと言われています。実は高級料理のひとつといわれる寿司は屋台で売られる「安い・早い・おいしい」ファストフードでした。カウンターでの寿司は敷居が高いイメージがありますが、これも江戸時代の屋台の名残だったんですね。
江戸時代は東京湾でも魚介類が多く取れました。そのため江戸前寿司は当たり前のように親しまれていたのです。ただ海は近くても冷凍技術は発達していなかったため、コハダや鯖などを酢でたしめたもの、火を通した煮穴子や蒸しエビ、卵焼きなどが江戸前寿司の代表的なネタとなっていきました。
江戸前寿司が発達していくうちにあなご寿司の人気は高まり、あなご寿司が有名な店もでました。今でも行列ができる店が東京都内にはあり、おいしいと人気です。あなごも江戸時代は東京湾で採れる定番のネタでした。
蒸され甘辛いタレで味付けをされたあなご寿司は、おいしいと評判で専門料理店でうなぎのようにお重でも提供されています。栄養価は高い上ヘルシーなあなごなので、東京の名物郷土料理として今でも愛されているのでしょう。
小麦粉に多めの水を入れ、調味料と食材を一緒に混ぜたものを鉄板で焼く下町の人気料理です。月島の名物でもんじゃの街として有名なのを聞いた人もいるでしょう。まず鉄板でドーナツ状になるように焼きます。それが固まったら残りを真ん中に流し入れ焼いていき、小さなコテで一口ずつ崩しながら食べるのが楽しいです。外はパリッ中はトロッとした食感がたまりません。
江戸中期の「麩の焼き」が「もんじゃ焼き」になったといわれています。それが時代とともに子どもでも食べられる駄菓子的存在にもなりました。そういった背景のせいか、鉄板で焼いたものを文字の形にして子どもに教えたから「もんじゃ焼き」の名前がついたとの説があります。
うなぎのかば焼は関東と関西で調理法が違います。東京は背開きにして身を2つに切り分けたものを、白焼きにし蒸してからタレ焼きにする関東の調理方法です。これは「関東が武士の文化、関西は商人の文化」であることが大きく影響しているといわれています。関東の背開きの理由として、うなぎの腹開きは切腹を連想させやすく縁起が悪いからだといわれているのです。
江戸時代は今よりも川が多く、誰もが簡単にうなぎを手に入れられました。そういった背景もうなぎのかば焼きが東京名物として今でも人気の理由だといえます。今は関東以外のうなぎも多く使われていますが、今でも東京の「かば焼き」は江戸時代から変わらず背開き調理されていますよ。
おでんも江戸時代に屋台料理として生まれました。当初のおでんは味噌田楽で、串に刺したこんにゃくに味噌をつけて食べていたのです。そのうち煮込みおでんへと変わっていきました。煮込みおでんは関西へもひろがり「関東煮(かんとだき)」として親しまれています。関東煮という名前に江戸生まれの名残が残っているようで感慨深いですね。
おでんにはからしがそえられますが、これは屋台時代の名残です。江戸時代、屋台では衛生状態はあまりよくなく殺菌目的で添えられていたといわれています。からしをつけたおでんはおいしいですが、実は庶民ならではの知恵の象徴でもあったのですね。
力士が作る料理として発達したのがちゃんこ鍋です。立派な体格を作るために栄養価の高い食材でちゃんこ鍋は作られています。肉や魚、野菜など具材がたっぷり入ったちゃんこ鍋はとてもおいしいです。今では東京を中心に元力士によるちゃんこ鍋専門店が数多くあります。
ちゃんこ鍋は力士が作る鍋のため、魚介・肉・野菜などの食材はぶつ切りにし鍋でダシとともに煮ます。そのため部屋ごとにさまざまなこだわりの鍋料理が生まれました。「ちゃんこ」という言葉自体は力士の食事のことをさします。しかし今では、寄せ鍋の一種であるちゃんこ鍋がその代表となりました。
浅い鍋にダシとどじょうを入れ、刻みネギと一緒に煮たものがどじょう鍋です。柳川鍋は調理法が少し違い、ささがきにしたゴボウと一緒にダシで煮ます。どじょうは背開きで、最後に溶き卵でとじるのが柳川鍋の特徴です。どじょうもゴボウも滋養があり、柳川鍋は夏季に食べられる江戸時代の手ごろな庶民料理でした。
柳川鍋の名前の由来は諸説あります。福岡の柳川藩の土鍋説や江戸時代の店名説、どじょうが柳の葉に似ている説などが有名です。煮た具材をご飯の上にのせると柳川丼になります。みりんと醤油で煮て卵でとじるのが柳川鍋の特徴です。どじょうをそのまま煮る場合は丸鍋と呼ばれています。この場合は味噌で味付けをする店が多いです。
江戸時代、深川地区といわれる江東区近辺は海に隣接し漁業が盛んでした。そのため舟の上で手軽に素早く食べられる「まかない飯」として誕生したのが深川丼です。あさりやはまぐり、ねぎ、油揚げ、野菜などを味噌で煮込みご飯にかけたものをさします。味噌汁ぶっかけご飯を深川丼と呼んでいたのですね。
その後、同じ具材で炊き込むタイプの深川丼も生まれ、こちらは駅弁などで使われるようになりました。炊き込むと「深川丼」ではなく「深川めし」として出されることが多いです。2007年に東京の郷土料理に認定された深川丼は、今も江東区の門前仲町や清澄白河といった深川近辺の店で深川丼が食べられます。
江戸時代中央区は海に隣接し、隅田川の河口に佃島という島がありました。そこから生まれたのが佃煮です。小魚や貝などを醤油やみりん、砂糖などで煮詰めて作ります。新橋に佃煮の有名な専門店もあり、東京土産としても人気です。
佃煮は江戸幕府に献上した後に残った雑魚を煮、保存食として発達しました。佃島で作られた煮物は佃煮と名付けられ、今ではさまざまな食材で日本各地で作られています。おにぎりやお茶漬けで食べるとおいしいですよね。
べったら漬はまず下漬けとして皮を厚めにむいた大根を塩押し水分を抜きます。その後、砂糖・米・米麹で本漬けにして作る東京を代表する名物です。甘酒の麹を使うので表面がべとべとしているため、べったら漬と名づけられました。大きめに切られたべったら漬をポリポリと食べるのはおいしいですよ。
べったら漬は漬け込んでから10日から15日で食べられます。しかし、その分風味が変わりやすく保存性は低いです。江戸時代の商売繁盛や五穀豊穣を祈願する宝田恵比寿神社例祭の市が発祥とされています。今でも毎年10月19日の夜、日本橋本町の宝田神社を中心に「べったら市」が開かれ、べったら漬が売られる有名な東京名物です。
いろいろな野菜が入っているため「七福神」にちなんで名づけられたのが福神漬です。福神漬は江戸時代初期に生まれました。河村瑞軒という海運業や治水事業で有名な人が下働きの若い頃、精霊流しを見で思いついたのです。
今よりも川と生活が密着していた江戸では精霊流しがされていました。そのときに流される野菜が川に浮かんでおり、瑞軒は拾って混ぜ合わせた上、塩漬けにしたのです。それを近くの工事人に売ると大人気となりました。これを上野・池之端の茶店がお茶請けとして目をつけました。調味液などを工夫し今の福神漬へと発展していったのです。べったら漬とともに東京を代表する郷土料理です。
くさや液に漬け込むことで濃厚な味となるくさやは東京を代表する郷土料理です。ムロアジやトビウオなどの新鮮な魚をくさや液につけた後、天日干しにします。江戸時代、塩は幕府への献上品だったため貴重でした。干物を作る塩水も貴重だったので繰り返し使われるようになったのです。その結果、多くの微生物が存在するくさや液が生まれました。
塩水をつぎ足し使うくさや液は、微生物と魚のタンパク質が作用して発酵し濃厚なうま味を作り出します。ただ焼くと強烈な臭いが出、好き嫌いの別れる名品です。そのため、すでに焼いたものをパックにした製品も販売されるようになりました。酒の肴としても絶品といわれています。
その色からべっこう寿司とも呼ばれる島寿司は、東京都伊豆諸島や小笠原諸島などで食べられます。各島ごとに独自の発達をしてきましたが、地魚をしょう油、酒、砂糖で作ったたれに漬けるのはほぼ同じです。わさびが手に入りにくかったため、青唐辛子や練りからしとともに食べるようになりました。
握り寿司として食べることが多いです。地魚の白身の魚を中心に、鯛・マグロ・カツオ・カジキ・シイラ・トビウオ・イサキ・カンパチ等がネタとして使われます。小笠原諸島はサワラが一般的です。ちらし寿司風に作られることもあります。
一昔前、来々軒という名前はラーメン屋の代表でした。ドラマや漫画、アニメでもこの来々軒は当たり前のように使われていたのです。実はこの来々軒は日本におけるラーメンの伝説的なお店だったことを知っている人は少ないのではないでしょうか?
今では全国にご当地ラーメンがあり人気ですが、東京にも郷土料理といえるラーメンがあります。それが醤油ラーメンで、鳥ガラをベースに野菜や豚骨などから煮出し、醤油ダレを加えたあっさりスープが特徴です。基本として中細の縮れ麺を使用することが多いです。
流行の最先端のものしかないように見える東京にもさまざまな郷土料理があります。これも東京生まれ?と思う料理も名前の由来やルーツをたどると歴史を感じる名品だということがわかりますよね。おいしい郷土料理でこれからも東京の魅力を発見してください。